Sunday, December 14, 2008

イスラエルとイスラム世界、日本と中国

先日、ビジネスマン、プロフェッショナルの方々の勉強会で、オバマ政権について手短にお話しする機会があったところ、参加者の方々の中から、メールでご質問があり、その後のやり取りの中で、イスラエルが置かれている状況が日中関係について暗示するものについてのご感想がありました。そのテーマが、もともとブログを始めたころの志にかなっていたので、この場を借りてご返事させていただくことにします。あしからず。
 私は、経歴及び嗜好上たまたまこうした話題について多く見聞する機会を持ってきただけのことで、それが真知に結びつくかどうかは、その人の見識次第です。ついては、お話のあった、イスラエルと日本との比較についてお考えいただく上で何らかのご参考になるかと思い、いくつか気がついた点を申し上げます。

 ユダヤ人は、2000年以上にわたり自ら主導権を握る国家を持つことなく、主としてイスラム圏及びキリスト教圏で二等国民の地位に甘んじてきました。もっとも、その歴史のほとんどを通じて、イスラム圏ほうがユダヤ人に対して寛容であったことについては、ほぼすべての学者の意見が一致し、かつ、イスラム教徒たちが自慢とするところです。
さて、パレスチナの地ですが、ここは、旧約聖書に従えば、ユダヤ人が先住民をせん滅して自らの王国を樹立したところですが、その後、改宗、他民族の移住、通婚等によって、当地のユダヤ人は、回教徒、キリスト教等に混じって住む、決して大きくない宗教的マイノリティになりました。イスラエルという国は、ユダヤ人が、19世紀末から20世紀にかけてのトルコ帝国の瓦解から第二次大戦後のヨーロッパ諸帝国の崩落にいたるまでの間のヨーロッパ諸国による中東の分割支配体制の中で、立国の準備を行い、第二次世界大戦後には、自らがマジョリティを占める独立国家を作り出した、そこに世界中のユダヤ人を募って、国づくりを進めてきた、というのが、その歴史の実態です。こうした歴史を考えると、中東のイスラム教徒たちがイスラエルをたかだか60年の歴史しか持たない、ヨーロッパが不法に押し付けてきた、国家としての正当性を欠く存在と考えるのも、あながち突拍子なこととは言えません。また、その宗教指導者たちのほとんどが政教分離を否定しているイスラム教徒たちとしては、いったんイスラム教に服した地が異教徒の手に渡ることは、教義上も甚だ具合の悪いことです。このため、イスラエルは、その存在の正当性自体が、ほとんどの域内諸国から否定されているという、甚だ過酷な条件のもとに生きているのです。

日本は、というと、中国からも韓国からも、第二次大戦後、かなり一方的な民族的敵意を向けられてきていますが、太古の昔を除けば、一時的な侵略の試みこそあれ、その存在自体を否定されたことは、ありません。領土争いも、周辺のごく少数の無人島をめぐってのものであり、近年の経済水域や大陸棚の囲い込み合戦も、基本的には、交渉と取り決めという平和的手段で行われてきています。つまり、ほぼ一貫して、独立国家同士の関係であり続けてきたのです。その点、むしろ、英国とフランスの関係に比すべき点が多いでしょう。イスラエルにとって、隣国との不和は、国家存亡にかかわる問題であるのに対して、日本にとっては、単なる不快、そして経済的な機会損失程度の話なのです。

では、こうした隣国との関係、特に日中関係が将来にわたって安心できるものでしょうか。私の結論は、恐れるべきは、弱い中国であって、強い中国ではない、というものです。この結論は、6年前にニュー・ヨークのビジネスマンの集まりで中国についてお話した際に整理したもので、今も基本的に変わっていません。話せば長くなるので、ポイントだけ申し上げると、中国を脅かすものは、3つのD(Desertification (砂漠化:実は水不足の話ですが、3つのDにするためこうしました)、 Demographics (人口動態:当時は主として一人っ子政策を念頭に置いていました)、Democracy(人の移動:これは、解説しないとわかりにくいだろうと思います)であって、これらを乗り切らないと30年後の中国が大変なことになって、隣国の日本が特に大きな被害をこうむる、という議論です。強い中国は、経済的に開かれた中国でしかありえない、しかも、日本と同じ通商ルートが開かれていないと困るので、基本的な利害関係が一致している、日本は、強い中国と競争関係に立つが、敵対関係に立たない、というものでした。私のこういう総合的な見方が、比較的少雨数はであることは、承知しています。

なお、逆に、日中関係、日韓関係の経験がイスラエルとその近隣諸国との関係について多少とも示唆するものがあるとすれば、それは、主としてアラブ諸国に向けられるものであって、「未来志向」という言葉に尽きるでしょう。端的に言うと、やっちゃったことは、しょうがない、というものです。だが、これを話し出すときりがないので、また、気が向いたときにここで取り上げようかとも思います。

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